公の会話で唯一安全な話題は、富くじ、天気やサッカーの類だ。旅の間、果てしないお茶のお代わりを飲みながら、ラーキンは、息をつく余地が欲しくてたまらない、怯えた国民の抑えられた告白を引き出す。「see you later, alligator」がアメリカの最新スラングだと考えているような新事情通志望者で、単に自分の英語を試してみたがるという人たちもいる。植民地統治の終焉時に取り残されてしまった英ビルマ混血のある老齢の女性は、最後に残ったイギリス製の瀬戸物を愛でながら古き良き昔を追憶する。
心情をぶちまける人々もいる。悩みを苦々しい所感に煎じ詰める人々もいる。「ビルマ人は十分満足しているのですよ」ある男性はラーキンに言った。「なぜだかわかりますか?何も残されていないからですよ。私たちは絞りに絞りとられてしまって、何も残れされていないのです。」
オーウェルの二冊の政治的小説を「ビルマの日々」の続編として読んでいるラーキンは、奇矯ではないし、ミヤンマーで暮らしているわけでもない。BBCのビルマ語部門が「動物農場」をラジオ・ドラマ化したものを数年前に放送した時、視聴者はそれについて何週間も語り合ったのだ。彼等にとって、オーウェルの寓話はミヤンマーの窮状をあざやかに描いていたのだ。議論の話題になるのは唯一どの動物が実生活のどの人物なのかということだ。
ラーキンが国中を旅するにあたって、警察、軍関係者、官僚、スパイ、密告者や外国人とのあらゆる出会いを報告するよう指示されている一般市民によって移動は尾行され、時には妨害された。ある宿で宿帳に記入する際、彼女は九カ所の別々の部署に提出すべき書類を書かされた。地元の市場で買い物をすると、警察の密告者が、何度も何度も、彼女は何者で、どこに行くつもりなのか、そして何を探し出そうとしているのかを訊ねてしつこく後につきまとった。言葉を交わした大半のビルマ人の名前を彼女は変えており、ミヤンマーへ再入国を妨害されないようにするため、本書も筆名で刊行した。
ラーキンは最後にはカターに向かうのだが、オーウェルが持ち主にとってきわめて高価な資産であるあの象を射殺した罰としてカター配属になったのかも知れないと彼女は示唆する。「ビルマの日々」の目玉であるカター・テニスクラブは今も存在している。クラブの建物は今では政府の共同組合倉庫になっている。テニス・コートは奇妙なことに審判の椅子と夜間照明もそのままだ。オーウェルにとってクラブはあらゆる帝国の不正の象徴だった。
帝国は消滅したが、不正は消滅していない。両方の体制で暮らすだけ年齢のいったラーキンのあるビルマ人の友人は彼女にこう語る「イギリス人は私たちの血を吸ったかも知れないけれど、ビルマ人の将軍達は骨までしゃぶるんだから!」
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朝日の書評(2005/10/2(にも掲載されています。
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